2008年05月31日

家に帰りたい

   「白衣の堕天使」掲載より抜粋

 出会った時には既に末期状態の患者さんは結構いる。
 中でも特に印象に残った患者さんに “ハナさん” がいる。
 ハナさんは、どこが原発だかどこが転移巣なのか分からない状態の末期がん患者だった。その上、下半身(正確には腰の高い位置から下)麻痺、仙骨部には褥創(床ずれ)があった。その床ずれは直径20cm×20cmはあり、深さも脊椎に達する位の大きなものだった。麻痺があるために痛みをまったく感じないのは不幸中の幸いだったのかもしれない。
 彼女はまだ自力で動ける頃、市内の総合病院にかかっていたらしい。ただ、何を訴えても病名も状態に関しても何も説明がなかったという。薬もずっと同じものを処方され、改善しない事を主治医に伝えても、変更してもらえる事はなかった。
 そのうち脚の動きが悪くなった。布団から起き上がる事が出来ない。立てない。それでも彼女は腕の力だけで家の中を這いずり回り、なんとか用をたしていた。また、古くからの友人がひとり市内にいたため、彼に連絡を取り買い物などは頼んでいたとの事だった。
 しかし、排泄の感覚などもなくなってしまい、サービスを受けるようになった。
 麻痺に関しても何が原因でそうなったのか、どうしてここまでこの人は悪い状況になってしまったのか、それが第一印象だった。そういった過程から、彼女は病院に対する不信感を強くもっており、検査等受ける気持ちはまったくなかった。ただ、看護師が訪問する事は希望し、そのため在宅往診の主治医に定期的に来て貰う事だけは承諾してもらった。
 私たちスタッフは連日の訪問体制をとった。清潔に関する事、管類の管理、もっと状態が悪化してからは、痛み止めの管理、点滴の管理等であった。また、彼女の生活を支えるために必須だったのがヘルパーさんの連日1日4回の訪問。
 ハナさんは独り暮らし。そして血縁者・親族は一人もいなかった。担当のケアマネは、死後の段取りまでハナさんと確認していた。
 ハナさんは、幼い頃、経済的な理由で売りに出され、ずっと芸者をしてきたとのことだった。彼女が見せてくれた写真は本当にきれいだった。非常に穏やかな方で、生い立ちや生きてきた背景など、笑って話してくれたが、彼女が軽やかに話す口調からは想像もできないくらいの厳しい人生を歩んできたのだと思われる。
 どんなに辛い立場になっても、「こんちくしょう。」と思ってやってきた。だから、身体が言う事を利かなくなったときも、そう思って頑張ったんだ。そういう彼女は落ち着いていた。
 在宅看取りをずっと支えてきたが、「家にいたい願望が非常に強く・在宅で過ごすといっても自由ではない(ベッドから動けない状態)・家族など傍にいる人間がひとりもいない」といったケースは初めてだった。もちろん、他にもそういった方たちはいたのだが、途中で不安のほうが大きくなったり、痛みや苦痛が強くなった時に一人でいる時間が耐え切れなくなったりして、最終的には入院される方が多かった。(もちろん、家族がいる場合は最期まで在宅にいるケースも多い。)
 ハナさんの場合、まず下半身に関しては痛みがなかった事、そして穏やか過ぎるほど穏やかだった事が要因だと思われる。言い方を意地悪くすると 超天然 である。
 大きな褥創に関しても、鏡で見たいと言い、私たちでさえびっくりする状態であったのにも関わらず、「んま〜〜〜、こ〜んなに大きな穴が開くのね〜。」と、のんびり答えるのだった。すべてにおいてこの調子。
 上半身にも痛みが出始め、24時間管理での点滴に痛み止めが混入されるようになると、幻覚なども起こるようになった。彼女は夜中でも早朝でも電話を掛けてくるようになった。
「ハナです〜。来て頂戴。」
頻繁になり、私たちの疲労と睡眠不足はピークに達したが、何故か憎めない存在だった。夜中に電話で呼ばれてパジャマの上にジャージを着て、すっぴん・ひっつめで訪問すると、「あら、あなた。どうしたの?女はいつでも化粧しないとね。」
と、にっこり微笑むのだった。

 ハナさんの最期を関係スタッフ皆が看取ってあげたかったが、痛み止めの副作用が強く出てしまい、結局入院になってしまった。病院へ顔を出すと、「ねぇ、はやく連れて帰って。あんたたちに最期を見てほしいのよ。」と、ゆっくりと話していた。
 入院する直前、「私は今がいちばんしあわせ。」と、しみじみと言っていたハナさん。
 誰が見ても悲惨といえる状態の中、幸せだと言う。
 今までの人生の中で、本当にたくさんの事を経験されてきて、悲しい事や辛い事を乗り越えてきたのだろうと思われる。
 それに比べて今の私たちは、どれだけ恵まれた環境で、どれだけ甘えているのだろうか?
 彼女との出会いを大切に生きていきたいと思う。
posted by 木下小櫻 at 16:43| Comment(0) | 復刻・白衣の堕天使 (看護師時代) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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