2008年05月31日

不純な天使

   「白衣の堕天使」掲載より抜粋


 23:30を廻った。しょうがないな、そろそろ動くか。きっと誰かが見たらかったるそうな顔をしていることだろう。とりあえずベッドから身を起こす。とはいっても眠っていたわけではない。ただ寝転んでいた。体力の消耗を抑えるとか、休息しようとか、はたまた精神が昂ぶって眠れないのではない。疲れているからゴロンと横になっていただけ。大事なことを考えていたわけでもなく、今度の休みは何しようとか考えていたわけでもなく、ただ天井を見つめているだけ。“無心”ってのはこういうのを言うのかもしれない。

 ゆっくりと緩慢に動き始める。なんとなく思考回路が働き始めてきた。

 たぶん、大多数の人はベッドに入って眠る頃か、大好きな人とセックスしてるか・・・・・

んー、大好きな人とは限らないか・・・・・。そうじゃない方が多いよな、きっと。気持ちいいか、良くないかは、あたしの知ったこっちゃないな。

 そうだなぁ、あとは2次会で飲んでるか、歌ってるか、長電話してるか、女同士で駄弁っているか、せいぜい男の愚痴とか恋愛お悩み相談とか。たまに男でもいるよな、そういうの。疲れないのかなぁ。踊って、ハイんなって、訳分かんなくなって・・・・・。

 結局、どれも大したことじゃないな。つまんなそう。

 でも、あたしよかいいか。

 あーあ、みんなが見せ掛けだけでも気持ちよく過ごしている時間に、なんであたしは白いストッキング履いて、歯磨きしているんだろう。

 微かな抵抗感の中、いつもと同じように体は勝手に動いている。決められた流れ作業のように、着々と準備されていく。本心はいつも何処かに置いていかれて独身寮の重たい防火扉の鍵を掛ける。鉄製のドアに「ガチャン」と施錠の音が響く。

 病院の敷地内に独身寮はあって、30分も前に出れば十分仕事には間に合ってしまう。3交代という不規則な勤務で大変ね、そういう人は多かったが疲れていようが行きたくなかろうが体がそう慣れてしまって勝手に動くのだから仕方が無い。一般に言われているほど苦痛を感じている看護師はいないと思う。人間なんでも慣れだよ、慣れ。

 まぁ、看護師という仕事に命張っている人にはこういう見解は腹立たしいんだろうなぁ。

 そう思いながら、更衣室のロッカーを目指す。日勤の朝は白衣に着替える職員でいっぱいだが、深夜は各病棟2人体制なので疎らだ。

 あたしは今思ったことを考えながら、ロッカーの中の鏡を見ながら一人苦笑した。

 そうなんだ。看護師って仕事に燃えている人にはあたしみたいなのは追放したい思いに駆られるだろうなぁ。だけど、看護師ってそんなにえらいのか?人の命背負ってます、って顔している人が多いけど、人の命背負うって・・・・・それってちょっとすごすぎやしないか?人の命背負えるだけの器持った人間なんて、普通そうはいないぞ。

 人間の寿命や性や、病気、人生は人それぞれであって、あたしたちはたまたまそこに居合わせただけの人間。ただプロとして仕事していく中で、その人たちの人生の一部を見させて貰っているだけ。ただ、それだけのことなんじゃないだろうか。

 とめどなく思いが廻りだした。あたしの悪い癖だ。でも、あたしのいいところは切り替えが出来ることなのかもしれない。すっかり身支度を整えて病棟に上がったときには既に関心は入院患者の状態にあった。看護師モードに切り替わっていた。

 いうなれば、そうだからこそ一般生活に適応できているのだろうと思う。あたしに与えられた、生活していくための知恵のようなもんである。

 切れ変わることが出来ずに、自分の思考回路に侵されたら間違いなくあたしは社会不適応である。

 正しく表現するなら、あたしはもともと社会不適応の素質を持っている。幼児期に精神的な治療を受けたこともある(らしい)。

 

 こんなあたしでさえ、白衣を着て、ナースキャップをかぶり、看護師として仕事をしていると、当たり前なんだろうが“看護師”に見えるらしい。一般論でいうところの“看護師”である。

「看護師さんの笑顔だけで救われる。」

社交辞令か冗談だろうが、そういう人はかなりいる。看護師って職業に与えられた特権らしいが、あたしには負担だった。

 あたしは看護師という仕事を純粋に遂行しているほうだと思う。そこに患者への関わりや介入、訴えの理解・・・・・それら全て看護業務だと思っている。だが、それは遂行しているだけであって、あたしの人間性はそういったものから程遠いのが事実である。だから、そんなことを言われると本気で否定したくなる。

 あたしはずっとずっと愚劣な人間だから。

 そう言えたら楽かもしれない。

 

 今夜もモニターが3つ稼動している。病棟内からは11台のレスピレータがカシュー、カシューと規則正しく音を立てている。そういえば今朝、こんなに呼吸器の患者入れて責任持てませんよって、揉めてたな。奥の部屋からはバイパップの轟音が聞こえる。ナースコールは鳴りっぱなし、患者のボード4つ赤く点灯している。準夜と深夜のリーダーは申し送り中なので、もう一人ずつがナースコールの対応に追われる。うちの病棟でナースコールの鳴っていない時はほとんどない。重症かつ意識・感覚のクリアな患者がほとんどであったが故の多さであった。

 タッチセンサー式のナースコールが病室でピピピピピピピ・・・・・と何回も鳴っているのが聞こえる。「Iさんだな。」全身の筋肉が侵されていく病気が多く、普通のナースコールはほとんどなかった。看護師を呼ぶのに必死で、何度も顔を横に振って頬にタッチセンサーをぶつからせているのだ。あぁ、申し送りが終わるまで待って・・・・・。

 どこかで輸液ポンプの警告音が鳴っている。インスピロンの音に掻き消されているが、間違いない。きっと、ナースコールの対応に追われてボトルの切り替えが遅れているのだ。

 お願い、もう少し待って。もう少し。

 

 余計な、本来あたしらしい考えが過ぎる間もなく業務と対応に追われる。この病棟でステーションに座っていたことなんてほとんどない。

 あっという間に朝が来て、申し送った後時間内に出来るはずもない記録をして、風呂に入って独身寮へ戻りへたり込んだときには、やっぱりまた無心状態になっている。深夜後そのまま駅近くに出掛けることも多かったが、あまり複雑なことは考えずに当てもなくショップを覘いたり、喫茶店で一服したり。

 覚醒している時間が長くなりすぎて、変に冴えてくる。そうするとまた自己思考回路に埋没してしまうのだった。この状態から解放してくれるのならば、なんでもするわ。

 本当にいつかおかしくなる前に、なにかしなくちゃ。

 毎日が早かった。毎日が、どれ位。あと、どれ位?

 あぁ、本当にこの冴えきった頭をシェイクして欲しい。想いが廻るめくのを止めてくれるなら、喩え非常識なことでも非難されることでも何でもするわ。冷えた血液をほんの少し常温に戻して。

 毎日、毎日。どれ位?どこまで続くの?

posted by 木下小櫻 at 15:25| Comment(0) | 復刻・白衣の堕天使 (看護師時代) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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